“原点にして頂点”というコピーからもわかるように「1号ライダー」の人気は、今でも他のライダーを圧倒している。
しかし、1971年4月にスタートした“原点”の『仮面ライダー』は、1号だけのものではない。そこには「2号」もいた。
そして2号がいなければ、今の人気につながらなかった部分もあるのだ。
今はあまり表舞台に出ることがなく、都内で居酒屋「バッタもん」を経営している
「仮面ライダー2号・一文字隼人(いちもんじ・はやと)」役の佐々木剛(ささき・たけし)氏の半生を通して、もうひとつの45年をふり返る。
■変身ポーズは、2号が最初だった!
佐々木剛が仮面ライダー2号になったのは、1971年の春のことだった。
「藤岡(弘、)がバイクで転んで大ケガをしたんだよ。それで俺にオファーが来た」
『仮面ライダー』第9、10話の撮影中に、道路の曲がり角で電柱を支えるワイヤーにぶつかり、藤岡氏は大腿(だいたい)部を複雑骨折。
全治6ヵ月と診断された。そこで、動くことのできない藤岡に代わって、佐々木に白羽の矢が立ったのだ。
「でも、最初は断った。だってその頃の俺は『柔道一直線』(TBS)や『お荷物小荷物』(朝日放送)などに出ていて、スケジュールがほとんど埋まっていたからね。
だけど『もう撮らないと放送が間に合わないから』って頼まれて、じゃあ、『藤岡がケガを治して戻ってくるまで』という約束で出演することを決めたんだ。
それに藤岡にとって仮面ライダーは初めての主役だった。あいつとは劇団NLT時代の同期。同期だった男がやっと取った主役を、
いくらケガをしたからって代わりに自分が務めるのは心苦しいものがあった。だから俺は、『藤岡が復帰してきたら、この役はあいつに返しますよ』という条件で代役を受けたんだよ」
こうして仮面ライダー2号・一文字隼人になった佐々木だが、撮影が始まってすぐに大きな問題にぶち当たった。
それまで仮面ライダーはバイクに乗って、その風圧によって変身していたのだが、佐々木はバイクの免許を持っていなかった。
「だって、『バイクの免許持ってる?』なんて聞かれなかったからね」
しかし、それが功を奏した。バイクに乗れない佐々木のために、その場で変身する“変身ポーズ”が考えられたのだ。
「変身ポーズをとったのは、2号が世界で最初ともいわれてる。あのポーズは殺陣師(たてし)さんが考えてくれたんだけど、俺、最初の時に間違えたんだよ。
本当はジャケットのチャックを開けて、ベルトを出して変身ポーズをするのに、あの時は変身ポーズに入ってから『あ、ベルト見せてねえや』って思って、慌ててベ ルト見せて、それからまた変身ポーズに入ったの。
でも、監督も変身ポーズをちゃんとわかってなくて『はい、OK!』って撮影終了。だから、あの時だけ二段モーションになってるんだよ。なんか伝説の二段モーションっていわれてるみたいだけどね(笑)」
そんな変身ポーズが、当時の子供たちの心をとらえた。それとともに仮面ライダーの視聴率も上がっていった。
「俺がやる前のライダーって、ちょっと怪奇的でオドロオドロしかったんだよ。そのため視聴率もあまりよくなかった。8%くらいしかなかったんじゃないかな。
それで俺に代わってからは、少し明るい感じになったんだ。一文字隼人の最初の登場シーンなんか、花をくわえて出てくるんだぜ」
また、アクションシーンにもこだわりがあった。
「ライダーのアクションシーンは普通とは違うんだよ。あれは殺陣なの。ただ、速く動いて相手を倒すだけじゃなくて、ひとつひとつの動きの中に刀の構えみたいなものがある。間があるんだ。
それから、2号のライダーは腕と脚に太い線が一本入ってるでしょ。あれは夜の撮影が多くて、
暗くて見えにくいから光る素材のものをつけようということで1号用に作ってあったものを2号が着ちゃったんだよ。だから、1号が復活してきた時、1号は2本線だっただろ。
2号が1本線をとっちゃったから、2本線にするしかなかったんだよ。本来は逆だよな(笑)」
変身ポーズと明るい雰囲気、そしてわかりやすいアクションなどで、2号ライダーになってからは視聴率が30%まで跳ね上がった。
日本中の子供たちが変身ポーズをマネして、高い場所から「トーッ!」と飛び降りる遊びが流行った。
また、カードがおまけについている「仮面ライダースナック」が大ヒットして、社会現象といわれるほどになった。
年が明け、72年になると藤岡がケガを治して戻ってきた。この時、佐々木は約束通り、ライダーを降りる決意をしていたが、
制作側から『視聴率がいいから、ダブルライダーでいこう』という話を持ちかけられた。実際、ダブルライダーが登場する回が何度も撮影された。
「でも、ダブルライダーだと、それまで主役をやっていた俺がどうしても“頭(一番手)”になっちゃうでしょ。俺は、それだけは避けたかった。
『藤岡が仮面ライダーの主役なんだよ』ということをみんなに知らせたかったんだよ。それに俺がそのまま続けていたら、『あの約束はなんだったの?』ということにもなる」
こうして佐々木は、藤岡が完全復帰するまでの約9ヵ月、39話分の主役をやり遂げて仮面ライダー2号に別れを告げた。
「俺はいやでライダーを降りたわけじゃないの。だから、ゲスト出演の話は一度も断ったことがない。これまでゲストだけで30本以上出てるよ。
正直言って、俺、ライダーが大好きなんだよ。今さらだけど、藤岡が復帰してくるのが早すぎたという気持ちもある(笑)。本当はもうちょっとやっていたかったんだよね」
■この続きは明日配信予定! その後、襲った悲劇と凄絶な闘いとは…。
(取材・文/村上隆保 撮影/村上庄吾)
週プレNEWS 5月7日(土)5時59分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160507-00064808-playboyz-soci
写真
無免ライダーだったのかよ
だからバイク乗ってるシーンは
トラックの荷台にバイク乗っけて撮ってる
関西では視聴率は最初から高かった
関東ではイマイチだったけど
怪奇色の強い最序盤の方が面白いんだけど
確かにアレは子供には受けないね
コウモリ男、恐かったよな
この両作品もリアルタイムでは大変な人気作・話題作だったらしいが
45年経って残ってるのは「仮面ライダー」なんだよな。
そもそも普通は45年なんか持たない
柔道一直線も残ってるでしょ。
近藤正臣が足でピアノ弾くとか。
実際は、柔道一直線が終わってから3ヵ月後にライダーに出演
撮影が被っていたのは、NHK朝ドラの繭子ひとりと、お荷物小荷物
2作とも2インチVTRの作品だから、残ってる映像がほとんど無い
ライダーと柔道一直線は、フィルムだから全部残って、ソフトが出てるし
「お荷物小荷物」はのVTRは最終回3話分しかなくてソフト化されず「繭子ひとり」に至っては
TV放送を録画したテープ(8分)が奇跡的に残っていたものの原版は全く見つかっていないからね。
フィルム制作なら必ず保存されるわけではないけど、テレビ局が作るテレビドラマに比べたらいわゆる
「テレビ映画」は残りやすい。
おかげで後々ビデオソフト化出来るわけで
フィルムとビデオの皮肉な関係だな
後に続く雛形を創ったよ。
1号がソッコー怪我でリタイアして
2号が代わりに番組支えて
終わりのほうで1号が復帰しただけだからな
なんで藤岡だけが持ち上げられるのかわからん
2号の人こそライダー人気の元祖だろ
藤岡のアフレコの声が軽めになったなと思ってたら
のちにあの怪我でアフレコ出来ずに納谷六朗が代役と知って
子供の頃の耳はちょっとした変化に気づいてるもんだなと思った。
いや、藤岡ばっかりチヤホヤされるってのもおかしいとは思うよ実際
話も映像も暗かったし
2号になってからいろんな意味で明るくなったとは思う
1号は途中交代で入ってきた
そして最高の興奮したのは2号がときどき戻ってくる前後編
佐々木剛はスカイライダーにも客演してた
スカイライダーでは最終回にも素顔でゲスト出演して頼りになる兄貴分って感じだったしな。
ただ村上弘明と並ぶと少々身長差が気になったが。
スカイライダーはゲストライダー回が多いんだけど
中の人が出て来ないライダーも居るんだよね
本郷猛は出ずじまいだった
ぶっちゃけ視聴率がイマイチだったんで客演が多くなった
藤岡弘と当時すでに引退していた岡崎徹(アマゾン)以外は
全員出てたはず
名前からして仮面ライダー2号だし
最初も1号そのままで見分けつかないからバッタもん扱いになったのが痛いな
今だと1号より2号のほうがかっこいい
さすがに数週の準備期間でそれは無理
メット明るめにしたのも1話オンエア見て
その反省から準備してただけらしいし
しかし当時は佐々木のほうが大スターだったのに自業自得とはいえ気の毒
佐々木さんはアクシデントで大火傷負ったせいで俳優キャリアに穴開いたのが
反面、ライダーガールズや、少年ライダー隊とか、今見たらノイズにしかならないが
ウルトラマンも初代とセブンしか認めないというシーラカンスがね
滝が仮面ライダーV3になってたなら恐ろしく強いライダーになったはず
おやっさんはニートの昭和ライダー達を養った功績も讃えるべき
一応案としてはあったんだけどね滝ライダー
そのアイデアを流用して作られたのがV3
しかし平和は一週間しか続かず凶悪なデストロンが出現してしまうのであった
一人しかなれなけりゃ、あとはみんな悪役怪人役になっちゃう
スタイルが確立されたのは2号から
普通にドアを開けようとしたらノブを外してしまい、
「俺はどうしたんだ」と悩んでたのは覚えてる。
それは水道の詮だと思うの。
緑川先生待ちの間。
当時は2号の方が圧倒的に人気だった。
あとV3。1号は不人気だったな。
彼らは1号と2号で別番組だと思ってる。
一文字と滝の軽いやり取りが楽しかったし子役の五郎が昔としては
異常にうまかった
本郷が戻ってくるとやっぱり雰囲気が違うし時々助けに来る一文字も
主役時のような軽さはないという寂しさ
TVにまだ登場しない怪人が登場したときは大興奮でさ
一番興奮したのは、まだ1号放映中にどこかの公会堂でやったライダーショーだな
ライダーの似顔絵大会やって、石ノ森先生のサインをもらったわ
変身ポーズとか取り入れたりして
子供のころ何回も見たなあ
何回みても楽しかった
祭りが終わって露店が撤収したガランとした通りを翌朝眺めているような感じだった。
仮面ライダーといえば一文字隼人らしいよ
木梨のパロディも2号がベースだし
完全に隼人だな。あの鼻のイメージはよくわかる。
でも、それまでのホラー系から明るいヒーロー系への路線変更は確かにワクワクしたよ。
なんだかんだいって、2人を繋ぐ滝の功績が大きいと思う。
1号は原点としてに存在感がある大人のライダー、2号はやんちゃなお兄ちゃんという感じだった。
子ども心にOPのクレジットでダブルライダー回とわかるとテンション上がりまくりだった。
個人的には話抜きでアマゾンのデザインは一番カッコイイと思ってる。
決め技も大切断は大好きだった。
昭和ライダー好きは実はアマゾン好きが多いよ。
なにげにリンダもかなり強い。
ショッカーにとっつかまって改造人間になっちゃったら
むちゃくちゃ強敵になったかもしれない。
真田丸で藤岡弘、と近藤正臣が共演してるの見てなんか燃えた
燃えた!
1号ライダーと1号ライダーになりかけた男
良い45周年映画になったかもしれない
今回のは藤岡弘、のイメージビデオでしかなった
色んな意味で俺はまだ現役だぞっていう
それ考えても石ノ森の利権て凄いよな
本当の仮面ライダーはライダーマンまでの4人だと思う
xやアマゾンはショッカーの技術関係ない別系統の存在だろ
スカイはショッカー残党によるネオショッカー製だから本当の5号かも
首領は同じだからなぁ
でもXはパパが作ったしアマゾンはジャングルの謎技術だし。
ストロンガーはショッカー技術と繋がってるかもしれんね。
ストロンガーはブラックサタン製
でもライダー車輪は、なんと言っていいか…変だw
仮面ライダー人気でなかったってことか
そこに絶対人気の源になった
カルビーカード燃料が投入
光る!回る!変身ベルト!人気もだな
横のストライプが2本になったのが疑問でしょうがなかった
一文字隼人:超カッケー
風見史郎:なんかフツー
今ならやれると思うけどなあ
ショッカーとの戦いで深手を負い
戦線を退いていたが、
本郷のピンチに再び立ち上がるとかで
新仮面ライダー1号:わざと敵に捕まって改造手術受けてパワーアップ←いや自分で努力しろよ
仮面ライダーストロンガー「せやな」
まったく記憶にないわ
風祭右京
ちなみに柔道一直線と仮面ライダーはスタッフが重なっていて
仮面ライダーの主役は当初は近藤正臣の予定だった
記憶にないじゃなくて知らない世代なだけだろ。
中盤の最大のライバルだぞ?
「巨人の星」でいえばオズマみたいな存在。
ウルトラマンはレオかな なんかサイン良く書いてたわ 良い時代だった
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